ふくらはぎはノーメイク。

語りたいけど人には語れない叫び。素エロでごめんなさい。 会社員やりつつ、本能さらけだします。いらっしゃいませ、こんにちは。

友達の誕生日パーティーに出たくないんです。

友達であっても、人の誕生パーティが好きになれない理由を考えてみた。

 

1.祝う理由が分からない。

疫病やら、戦争やら、食料難で一年間を生き延びたことに対して、感謝するという風潮は、もはやないでしょう。むしろ、私は「新しい一年を無事に迎えることができて良かったなぁ~」と、年末年始に思ったりする。その方が気持ちがパリッとしてる。そんなわけで、親から誕生日プレゼントをもらえなくなった中学生以降、誕生日はなんともない日常の一日に成り下がりました。

 

2.自分が祝ってもらえないことの僻み(ひがみ)。

私の誕生日は、世間で言うところの冬休み期間です。年末年始のイベントわんさかで、人によっては帰省の時期。私の誕生日という理由でお祝いしてくれるのは、これまで家族と過去の恋人くらいです。友人が集まって祝ってもらったことは、ほとんどないな。ホント、寂しいです。

だから、たくさんの人に祝ってもらってる人は、羨ましいです。

 

3.金銭&時間の問題。

プレゼント代を出して、その時のパーティ代を出して・・・ 何人ものお祝いをして、上記2の理由から、自分には何も返ってこないのに、お金と時間を取られてしまうことの不合理さ。一方的に損をするだけ?? 参加回数が多いと、その分、出費も時間も取られるよね。。。

 

4.悪意ないだろうが、好意がスルーされる。

人数が多いと、せっかくプレゼントしても、次々と人がプレゼントするから、「ありがとう」の一言で処理され、後ろにあるプレゼントの山に置かれる。その結果、私があげたものとも分からずに終わる。だからといって、プレゼントしないと気まずいわけで・・・。

 

こんなところかな???

面倒なんです。

「お祝いしてあげた=相手が喜んでくれた=偉い私」なんて思うこともなく。「純粋に喜んでもらったから嬉しい」なんて、ピュアな心を持つわけでもなく。自分に何も返ってこないと分かっているだけに、参加しても気持ちは冷めてるんですよね。

 

今日、アメブロの記事で、えびちゃん(蛯原友里)がサプライズで祝ってもらったのって書いたブログを見て、実感した。15人くらいがにこやかに笑う写真が掲載されていて、友達にはプライバシーもあったもんじゃないなと思いながら。

「あぁー、やっぱり、こういうの参加したくないなぁー」って思っちゃった。自分の偽善者な一面を知ってるから、素直に楽しめないことも分かってるからね。

 

 

でも、個人的にお祝いするのは嫌いじゃない。ケチだからお金はもったいないけれども(苦笑)、馴染みの店で会った時に一品おごるとか、立ち話で知ったからランチおごるとか、誕生日近いってんで出かけの最中に小物を買ってあげるなど・・・。ちいさいお祝いは、している。後腐れなくていい。

 

一対一で直接お祝いできるし、相手の喜ぶ顔や言葉も独り占め。この瞬間はテンションあがります。「そんくらい、気にするな!あはは~!!」って気が大きくなりますよ(笑)

この週末は、きっと昨日に誕生日を迎えた人と会うだろうから、彼の好きなウィスキーのロックでもおごるつもりです。